MonroeAkira’s blog

トンボ採集や模型製作の記録になります。

1969年に生まれて MonroeAkira’s blog

こんちは、、

なんか今回は自分の身についた音楽、、

音を楽しむ~ラッコんロールを、、

 

語るよ~(笑)。

 

55歳になって、、

身体の不具合箇所がしんどいですね(笑)。

 

歌うことは、全身を使うので、、

昨夜の無理やり歌ったので(笑)

全身解しで元気を取り戻したつもりが、、

今朝、、早朝、、札幌は寒い、、12度しかない感じで、、身体が固まっちゃって。。。

そうなんですよ、、本日も

仕事に行けなかったわけなんです。。


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メイドちゃんとかスマホでお絵描きしてAIで実写化したりして、、

一応、、デスクワークで大口の見積もり制作もしたりなんかして。

 

またまた古傷からの高熱で、、す。

 

運動するのも困難だが、、

歌うことで全身がほぐれるなら(笑)、!

きっと今夜も歌うんだろう(笑)。

 

なんで歌にこだわるんだろ。

80年代中半から30才ぐらいまでヒット曲やオリコン等を聴くの避けてきた自分がいます、、。

自分の個性がアーティスト達の影響で引っ張られちゃうと感じたのです(笑)。

 

1969年6月5日にこの世にやって来てしまったおいらは(笑)。

物心着いた頃。。

昭和30年代から40年前半の曲をよく聴かされていたらしい。

 

生き別れの産みの母親は

歌の上手い

ホステスさんだったらしい。

 

我が父ジジラッコは流しのギター弾きだったんだとか(笑)。

そんな影響かな(笑)。

昨夜の弾き語りは(*σ>∀<)σ

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ラッパと娘笠置シヅ子様のカバーでラッコと娘でしゅ。(笑)ラッコんロール( ノ^ω^)ノ - MonroeAkira’s blog

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ラッパと娘

この曲は服部様の作詞・作曲・編曲による「ラッパと娘」は、昭和14年(1939)7月に帝劇で上演されたSGDの『グリーン・シャドウ』の挿入歌。

昭和14年の曲を、、

昭和30年後半~再ブレイクしたのか?

昭和39年辺りは「上を向いて歩こう」とか

だいぶブギウギとは違う世界観が。

 

この辺りの曲からおいらは影響を受けちゃってんだろうなぁ(笑)。

 

ラッパと娘は

物心着く前聴かされまくっていた(笑)。

 

戦前の日本においてジャズとポップスの水準がピークに達したのは、意外にも日米開戦直前の昭和16年(1941)だった。このことは、最近復刊された瀬川昌久さんの増補版『舶来音楽芸能史 ジャズに踊って』(清流出版)ではじめて知った。日中戦争が泥沼化するなか、ジャズに対する世間の風当たりは日増しに強まってきていたが、そんな風潮とはうらはらに演奏者たちのテクニックや作編曲の能力は格段の進歩を遂げていった。

 大阪松竹少女歌劇団(OSSK)の歌姫、笠置シヅ子が松竹楽劇団(SGD)の旗揚げ公演『スヰング・アルバム』に参加したのは昭和13年(1938)4月。このとき、同歌劇団に作・編曲と音楽指揮で招かれていた服部良一と出会う。

 

まだジジラッコも生まれてないじゃないか(笑)。

笠置シヅ子は、まだ三笠静子と名のっていた昭和9年(1934)10月に日本コロムビアから「恋のステップ」(高橋掬太郎詞、服部ヘンリー曲)でレコード・デビューしている。このときちょうど20歳。すでにはOSSKの看板スターだった。
 ところが、それ以降、昭和15年(1940)1月発売の「ラッパと娘」までの約5年間、まったくレコードを吹き込んでいない。これは想像だが、彼女の本領はステージにこそあり、けっしてレコードむきではないとの考えが本人にもレコード会社にもあったためではないか。だからかどうか、「ラッパと娘」は、服部と出会ってすぐにではなく、ふたりのパートナーシップが揺るぎないものとなった時点で満を持してレコード発売された感がある。

 服部の作詞・作曲・編曲による「ラッパと娘」は、昭和14年(1939)7月に帝劇で上演されたSGDの『グリーン・シャドウ』の挿入歌。1937年の音楽映画『画家とモデル』で、ルイ・アームストロングと白人歌手で女優のマーサ・レイとが演じたかけ合いがヒントになっているとか。ここでの彼女の並はずれたリズム感と爆発力はとにかくすごい。スキャットひとつをとっても、黒人の物まねではなく、本能にしたがって全身から黒いグルーヴがわき起こって来ている感じだ。「ラッパと娘」こそ、笠置シヅ子の代表的な名唱であると断言したい。

 

うん。( ≧∀≦)ノ。

 

なんか熱くなってきたな(笑)。

 

本能で歌ってたんだろね。

 

最近知ったけど朝ドラになってたんね(笑)。。。

 

東京ブギウギをはじめて聴いたのは

多分美空ひばりさんが歌っていた記憶があるけど、、

ネットやらYouTube見てたら

コンなの見つけた

↘↘↘↘↘。

笠置シヅ子は、復興を急ぐ敗戦日本の、苦しさから立ち上がろうとする活力の象徴のように大衆に感じられたのではあるまいか。そして、底抜けに明るい『東京ブギウギ』は長かった戦争時代をふっ切らせ、やっと平和を自分のものにしたという実感を味あわせてくれる(原文ママ)……と、多くの人がこもごもに語った。東京ブギウギは平和の叫びだ、と」
服部良一『ぼくの音楽人生』(日本文芸社

 

昨夜突然弾き語りした

ラッコと娘(笑)

あ、

ラッパと娘や東京ブギウギからきっと物心着く前に身体に染み込んだんだろうなぁ(笑)って自分で思っちゃうんですよ(笑)。

母のお腹の中から聴かされてうたのが、、

 

東京ドドンパ娘なんだとか(笑)

渡辺マリ 東京ドドンパ娘 


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197?年 ビクター音楽産業(株)


[東京ドドンパ娘]
作詩 宮川哲夫さん 作曲 鈴木庸一さん 編曲 寺岡真三さん
[タバコヤの娘]
作詞 薗ひさし さん 作曲 鈴木静一さん 編曲 寺岡真三さん

 

物心着くのって3歳ぐらいですよね。

 

3歳からいきなり歌い手として憧れたのが

 

「白い蝶のサンバ♪」を歌う

  森山加代子さん。

歌声の響、スタイルもルックスも幼少期は大好きでした。

なかなかの美貌の持ち主ですよね。

産みの母親に似ているんです(笑)。
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森山 加代子(もりやま かよこ、1942年3月23日 - 2019年3月6日)は、北海道函館市出身の日本の歌手。 1960年代は洋楽をベースとしたコミカルなイメージのカバー曲を中心に数多くのヒットソングを歌い、1970年代に入ってからは「白い蝶のサンバ」の歌謡曲が大ヒットした。ニックネームは「かよチャン」。

2019年にお亡くなりになりました。

 

白い蝶のサンバ/森山加代子

 

作詞:阿久悠 作曲:井上かつお

 

あなたに抱かれてわたしは蝶になる

あなたの胸あやしいくもの糸

はかないいのち さだめなの

あなたに抱かれてわたしは蝶になる

涙をため くちづけ受けるのよ

あふれる蜜に酔いながらおぼれるの

恋は心も いのちもしばり

死んで行くのよ蝶々のままで

あなたに抱かれてわたしは蝶になる

気ままな夢忘れて苦しむの

はかないいのち 恋のため散らせるの

あなたに抱かれてわたしは蝶になる

あなたの胸 あやしいくもの糸

はかないいのち さだめなの

あなたに抱かれてわたしは蝶になる

ふるえる羽はげしい恋に灼く

二度とは空に帰れない夜に泣く

恋は心も いのちもしばり 死んで行くのよ蝶々のままで

あなたに抱かれてわたしは蝶になる

朝日の中 うつろな蝶は死ぬ

はかないいのち 恋の火を抱きしめて

 

阿久悠さんの作詞凄いよねこれは。

 

( ≧∀≦)ノ。死んでいくのね蝶々のまま、、

美しいままね。

うん。すげーいいですね。

 

1970年から物心着いた1972年のヒット曲なんだろね。

かなり本格的なシンガーって感じがしますよね。

 

昭和48年からまたまた歌い手に憧れちゃうんですよ新たに(笑)。

しかもまたまた女性シンガーです。

涙の太陽」 安西マリアさん


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五歳ですからまだ幼稚園児ですよ自分は

涙の太陽

色々な方々が歌っていますよね。

1973年にエミー・ジャクソンの歌をカバーした「涙の太陽」でデビュー。エキゾチックな顔立ちで「ギ~ラ、ギ~ラ、太陽が――」と歌い、手をひらひらさせる振り付けも話題になり、いきなり大ブレーク。50万枚を超す大ヒットとなった安西マリアさん


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憧れましたね。

声のトーンに歌いまわし何よりの美貌(笑)

リズムの取り方が違うんですよね、、クォーターだからかな(笑)。

2014年に急に倒れちゃいましてから、、3月15日にお亡くなりになりましたね、、

60歳と、、まだ若い。

 


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現代でもあの頃の安西マリアさん

通用しますよね。

普通に美人でスタイルも良いから。

 

しかし歌手なんです。

 

かなり影響されましたよ。

 

さらに昭和50年になりモンローあきらはギターを手に入れます(笑)

そして影響をうけまくったのが、、

若い世代も知っているこれまた女性ボーカリスト(笑)。

 

アン・ルイス様です。

はじめて聴いた

「グッバイマイラブ」に心を奪われてしまいます(笑)。


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この頃はまだハードロック調ではないアン・ルイスさんに痺れてしまう小学校低学年の自分がいましたよ(笑)。

 

何故かいつも女性なんですね、、

うん。

アン・ルイスさんに影響をうけて、、

アン・ルイスさんね歩んだ音楽の道

 

それが知りたい、、(*σ>∀<)σ

 

これを切っ掛けに

洋楽に憧れを抱き始めます(笑)。

 

プレスリーの若い頃や

チャックベリー、、

フィフティーズ全般を聴きまくりました。

ロックンロール、、アメリカンポップス。

 

小学三年になり、、

ジャニス・ジョプリン 「 Summertime 」 1968年

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カッコいい~(笑)。( ≧∀≦)ノ。

中学に上がる前には


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ジャニス・ジョプリン のパールのレコードを手に入れましたよ。

中学生ではローリングストーズ。ビートルズなんかも聴きました。

中学生からかな、、

ストーンズの影響が強く、、

ストーンズが愛したブルースを聴くようになっていきます。

高校生になり

バンド活動をしますが、、

マスコミや流行りを全然知らないで

1920年代のギター1本でブルースを奏でる黒人達の音楽にどっぷり沼ったまま(笑)

大人になりましたね(笑)。

 

(笑)(*σ>∀<)σ。

 

最近。娘が生まれた辺りからかなぁ、、

妻の影響もあるのかなぁ?

二十年前だねもう(笑)

 

2000年付近からも

好きなアーティストはいますよ。

 

Uaが大好きです。

Superflyや

椎名林檎さん。

BONNIE PINKも好きですね。

2014年辺りからは

あいみょんの自分流のギターの弾き方は

共感しちゃいますし、、

Adoちゃんには度肝を抜かれましたね

ボカロ世代は僕らより音域が複雑で、、

てんこ盛りの言葉と音階が彼女は天才かもね(笑)。

今、自分が気になるのは

コロナ世代に見つけた若者達

Vチューバーだった

アザミちゃん。

そしてイチオシは弾き語りシンガーソングライターのうぴこちゃん。

二人とも詩も良しでギターを弾いて歌うスタイルはモンローおじさんと一緒だから、、

嬉しい。

 

あ、

やっぱり

よく考えたら女性ばかりが好きなようです(笑)。

 

コロナ禍からバンド活動を休止、、

 

身体の不具合からYouTubeで弾き語りを一人でするだけの現在。。

 

自分を振り返ったりなんかできる時間もあり。

かなり楽しいけど、、

 

普通のギターおじさんならば、、ギターの演奏に深みや年輪が感じられテクニックバリバリ熟練の職人的技がすげ~んだろうけど、、

手の動きが悪く(笑)どんどん下手になる(笑)。

その代わりにプレスリー張りのリズムギターやカッティングが冴えるよねって事にしておいてね😃。

 

結局、、1920年~1970年前半の戦前から戦後を跨ぎアメリカかぶれする辺りまでの昭和の音に影響されていると言うことなんだね(笑)。

絶対ラップなんて歌えないだろうなぁ(笑)。

 

小さい頃、、ちあきなおみさんの

大好きな曲なんだけど

夜へ急ぐ人」を、、

志村けんが汚い着物の女性姿で夜を急ぐ人たちの真ん中にいるコントみたいなやつをよくみて笑ってたんだよ(笑)ね。

 

それをYouTube動画で見つけたんですよ(笑)。

 

夜は急いじゃあダメだよ。

 

~~~~~(m--)m。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

音を楽しむと書いて音楽(笑)。

 

さあ、音を楽しみましょう(*σ>∀<)σ。